思考の整理学とは、、、
今日は”思考の生理学”という本について、僕がkindleでメモをつけた箇所を紹介していこうかなと思います。
「不幸な逆説」
”師匠の教えようとしないものを奪い取ろうと心掛けた門人は、いつの間にか、自分で新しい知識、情報を習得する力をもつようになっている。”
「朝飯前」
”どんなことでも、朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい。”
「発酵」
”頭の中の醸造所で、時間をかける。あまり騒ぎ立ててはいけない。しばらく忘れるのである。見つめるナベは煮えない。”
「寝させる」
”発見は朝を好むらしい。”
”本当の大問題は、長い間、心の中で温めておかないと、形をなさない。”
”思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。”
「カクテル」
”一つだけだと、見つめた鍋のようになる。これがうまくいかないと、後がない。こだわりができる。妙に力む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、かわりがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマどうしを競争させる。一番伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。「一つだけでは多すぎる」のである。
「知のエディターシップ」
”知のエディターシップ、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。持っている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。”
「媒体」
”新しいことを考えるのに、すべて自分の頭の中から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずることなどめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。”
「セレンディピティ」
”中心的関心よりもむしろ、周辺的関心のほうが活潑に働くのではないかと考えさせるのが、セレンディピィティ現象である。”
「情報のメタ化」
”思考の整理というのは、低次の思考を、抽象のハシゴを登って、メタ化していくことにほかならない。第一次的思考を、その次元にとどめておいたのでは、いつまでたっても、たんなる思いつきでしかないことになる。”
”思考の整理には、平面的で量的なまとめではなく、立体的、質的な統合を考えなくてはならない”
「カードノート」
”つまり、調べるにかかる前に、よくよく考える時間を取らなくてはならない。あまり充分な準備もなしに、いきなり本などを読み始めると、途中で計画の練り直しを余儀なくされたりする。”
「整理」
”頭をよく働かせるには、この忘れることが、極めて大切である。”
”忘れるのは価値観に基づいて忘れる。面白いと思っていることは、些細なことでもめったに忘れない。”
「忘却のさまざま」
”つまらないことはいくらメモしてもいい。そうすれば、安心して早く忘れられる。大切なことは書かないでおく。そして、忘れてはいけない。忘れたら、取り返しがつかないと思っているようしするのである。”
「すてる」
”絶えず、在庫の知識を再点検して、少しずつ慎重に、臨時的なものを捨てていく。やがて、不易の知識のみが残るようになれば、その時の知識は、それ自体が力になり得るはずである。”
「テーマと題名」
”思考の整理の究極は、表題ということになる。”
「ホメテヤラネバ」
”自分の考えに自信を持ち、これでよいのだと自分に言い聞かせるだけでは充分ではない。他の人の考えにも、肯定的な姿勢をとるようにしなくてはならない。”
「第一次的現実」
”仕事をしながら、普通の行動をしながら考えたことを、整理して、新しい世界を作る。これが飛行機型人間である。”
「コンピューター」
”機械が人間を排除するのは歴史の必然である”
ざっとこんなかんじか、、、なんか多いなあ笑
究極は、集めた情報を一文で表せるようになれば、整理されてるってことなんじゃないかなあ、、、そのためにはいったん忘れてみるだとか、朝考えるだとか、意識を変えてみるとかの方法がありますってことなんじゃないかなと思います。
こうやってブログで表現することもあてはまるんではないかなと思いながら、寝ます。